風化

あれから6年。
3月11日が近づくにつれ、あの震災を風化させてはいけないよなという思いは強くなる。

しかし、所詮は当事者でない者の思い。
私などは漠然と風化させてはいけないと思ってしまうが、
それを軽々しく言う資格があるのか?と思うことがあった。


被災した当事者からすると
「当時の記憶が風化していくことには、平穏・日常に戻ったのだという一面もある。」

と、3月6日(月)のザ・ボイスというラジオ番組で楢葉町の語り部の方が仰っていた。
(youtubeで聞ける09:50~)

全くもって仰る通り。
被災された方が日常に戻ったという面があることを考慮せずに、単純に風化させてはいけないと思っていたことに申し訳なさと恥ずかしさを覚えた。



そして、同じくザ・ボイス3月8日(水)。
この日は陸前高田市の方。
学校からの避難についてのお話が強く記憶に残った。


陸前高田市では、亡くなった子供が19名。
うち3名は、体調不良で家にいて津波の被害に。
残りの16名は親が迎えに来て被害に。


震災当時、学校に親が車で子供を迎えに来る。
親が来るはずだからと避難が遅れたケースがあったという。
そして結果、車は渋滞で動けず津波の被害に。

このことについて議論がされた結果。
岩手では、学校が開かれているときに警報等が鳴った場合、親は車で迎えにいかないことに決めたという。

賛否はあるだろうが、親は親で自分を守る。
その代わり、学校は躊躇わずにすぐさま子供を高台へ避難させる!


当サロンは茅ヶ崎駅数分で海側。
海抜は10mくらいだったか。

私には迎えに行く子供がいないが、
津波に襲われる可能性はあるだろう場所。

岩手のように、事が起きた場合にどうすべきかを市や県の単位で決めておくことは急務では…そう思った。


そして、
先に書いた楢葉町の方はこうも仰っていた。

「しかし、災害としては風化させてはいけない。」
「だから、11日は防災グッズの点検をしたりする。」


そうだ、非常用の水の期限が4月までだった。

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